昭和の化石の英語教室

昭和の終わりに日本を離れたラッキーな老人の英語教室

英語で英語を教えるのはうまくいかない。

知らなかったのですが、最近日本の英語教育は「コミュニケーション」を重視するようになり、もう小学校の低学年から英語の勉強が始まる(もう始まっている?)そうです。高校では、「英語で」英語の授業をなるべくするようになっているそうです。

 

この方法はまず間違いなく逆効果になるでしょう。日本語でちゃんと説明できないと、大切な「読み・書き」能力が間違いなく下がってくるでしょう。

 

日本人は英語の「読み・書き」はまあまあだけど、実際に「会話」ができないと、よく言われます。それはある程度そうなんですが、逆に言えば、「読み・書き」がある程度できると言うことは、日本の英語教育の強みです。特に科学・技術畑で働いている人にとって、英語がちゃんと読めない人は圧倒的に不利です。最新情報は、英語で書かれていることがほとんどだからです。

 

一方、英語圏に出張でもしない限り、英語の「会話」能力自体は、大部分の日本人には必要ありません。例えば、あなたが日本の総理大臣としてG7会議に参加した時、もし英語が喋れないと、自分だけが「蚊帳の外」になるので格好悪いと、そういった程度のことです。

 

なぜ、「会話能力重視」に方針を変えたのは、想像できます。有名大学を卒業なされた政府の官僚と学会の偉い人たち、つまり「子供に英語を教えた経験など全くない人たち」の多くが、よその国ではこうしているとか、理論的にはこのほうがいいとか、そういったことに基づいて決めたことなんでしょう。お偉さんには反対しない日本では、よくあることです。

 

私は、日本人の多くは英語が「喋れない」ことに、コンプレックスを持ちすぎのように思います。逆に、ちょっとでも喋れる人、特にネイティブ「っぽく」喋れる人は、必要以上に誇りをお持ちのようです。なんでそんなに、現実にはあまり必要の無い「会話能力」にこだわるのでしょうか。

 

通じる英語を習うことは、そんなに難しいことではありません。私は、27歳でアメリカにいった時、英語は全く喋れませんでした。今は問題無しです(「訛り」はありますが)。ちょっとした「コツ」みたいなものを教わればいいだけです。あとは練習です。このブログでは、その「コツ」を思いついた範囲でお伝えしたいと思っています。

 

(追記)私と全く同じ意見の方々を発見したので、下にリンクを貼っておきます。

book.asahi.com

 

toyokeizai.net