昭和の化石の英語教室

昭和の終わりに日本を離れたラッキーな老人の英語教室

武漢「封鎖」解除後に起きた出来事。

昨日、ここ武漢でコロナが始まった頃のお話をさせていただきました。

コロナが始まった時、武漢にいた私たち - 昭和の化石です

武漢の封鎖は2020年の一月の終わりから、二月半続きます。封鎖前には、ゾンビ映画のような、暴動が起きるのではないかとの雰囲気もありました。人民解放軍がやってくるとかいう噂もありました。あの頃の大混乱に比べると、封鎖中は秩序は戻ってきたし、贅沢さえ言わなければ食料も十分ありました。ほとんどの人にとっての唯一の問題は「退屈」でした。

 

問題はむしろ「封鎖」が解除されてから始まります。

 

封鎖解除後一年ほどは、武漢は天国でした。コロナはここでは絶滅状態になります。一方で世界中、特にヨーロッパとアメリカで、コロナが大爆発となりました。武漢からアメリカに脱出した友人から、「お前のように武漢に残ったらよかった」などと言われました。

 

この頃中国政府は、コロナ初期対策に関しての、中国の「成功」と西側諸国の「失敗」について、盛んに報道します。つまり、西側民主主義のやり方はうまくいかないと言うわけです。この自信が、後の徹底的「ゼロ COVID」方針をもたらすことになります。

 

問題が出てきたのは、解除後一年ほどたった2021年の夏頃だったと思います。翌年の北京冬季オリンピックを控え、徹底的にコロナを抑え込む方針、いわゆる「ゼロ COVID」方針が中央政府で確立していきます。中国では地方政府の役人は、中央政府に任命されるので、中央の決めることは絶対です。

 

まずコロナのPCR検査が必須となりました。検査で陰性となると以下のような QR「緑コード」をもらえます。これは私自身のもらったコードです(個人情報保持のため、ぼかしてあります)。

https://i.ibb.co/ZcmHtGG/green-code2.jpg

携帯のアプリに表示され、これをスキャンしないと、まず自分の家のあるコミュニティに入れません。バス・電車などの公共機関も使えないし、会社のあるビルディングにも入れません。スーパーで買い物もできません。つまり、これがないと、生活できなくなったのです。

 

しかも、この「緑コード」は48時間で消滅してしまいます(灰色に変わる)。つまり、二日に一回PCR検査を受けなければならなくなりました。検査場はそこらじゅうにあるので、せいぜい15分もあれば終わるのですが、二日に一回と言うのは、真夏日には結構大変でした。みんな、ブーブー文句を言うようになりました。

 

それでも、コロナ(オミクロン株)は戻ってきました。一人でも「陽性」が出ると、そのコミュニティ或いはビルディング全体が二週間ほど封鎖になります。下の地図は、その時の様子です。封鎖された場所が示されています。この時は、揚子江の北側(漢口と呼ばれる地域)に集中しているのがわかります。

 

https://i.ibb.co/2jmsVRt/lockdown.jpg

 

「陽性」になってしまった人は、同情はおろか、同じコミュニティのみんなから恨まれます。その人のせいで、二週間も外に出られなくなるからです。この頃から、コロナは「怖い」ものから「うっとうしい」ものに徐々に変わっていったようです。みんな、もう「ウンザリ」でした。