昭和の化石の英語教室

昭和の終わりに日本を離れたラッキーな老人の英語教室

人生で成功するには、努力か、DNAか、はたまた運か。

人生で確実に「成功」するには、「成功」の定義を、自分の都合のいいように変える、という手があります。白状すると、私も時々この手を利用して精神衛生を保っています。例えば事業に失敗した時、「お金が成功の全てではない」とし、屈辱の自家浄化を達成いたしました。

 

でも「成功」を主観的なものとすれば、本エッセイのテーマ、「成功の要素」、を考える意味自体がなくなってしまいます。「成功とは何か」という哲学的は話は、私はあまり興味ありません。

 

そこで今回のエッセイでは、「成功」を次のように定義いたします:「成功」とは、老後の資金があることです。ま、現実的な定義だと思います。

 

さて本題です。「成功」(老後資金を十分に貯める)には、三つの要素があります:(1)「努力」、(2)「DNA(才能)」、(3)「運」です。このうち、(2)「DNA」と(3)「運」は、自分でなんとかなるものではないので、たいていの人は、最初の(1)「努力」に一縷の望みを託すこととなります。娘・息子を塾に通わせるのは、まさにそうです。成功の要素(2)DNA は結婚相手を選んだ時点で、もう手遅れです。

 

しかし悲しいかな、「努力をどんなにしても、限界がある・どうにもならない」とよく言われます。それはまあ、一般論としてはそうです。例えば、私には、氷の上で四回転ジャンプは単純に不可能です。努力でどうこうと言う次元の問題ではありません。

 

しかし、私は「努力」の恩恵をみくびってはいけないと考えています。仮に結果が出なくても、自己満足だけではなく、具体的な恩恵があると信じています。

 

一番の恩恵だと私が思うのは、努力した・頑張った経験を通じ、自分の精神的・肉体的「我慢の限界」をある程度知ることができることです。

 

例えば努力の経験のない人は、自分が「根性無し」かどうかがわかりません。根性が無いこと自体は、特に問題ではありません。根性のいらない職はたくさんあります(大学の先生とかブロガーとか)。しかし、根性が無いことを「知らない」のは大きな問題です。「根性無し」の方が、たまたま根性のいる職(例えば小学校の先生とかラーメン屋の主人とか)についてしまうと、疲れてやめてしまうかもしれません。すぐにもっと自分に合った仕事が見つからないと、老後の資金はたまりません。

 

だから「ダメもと」でも努力してみましょう。努力するあなたを「バカ」呼ばわりする人はいるでしょうが、黙ってあなたを尊敬している方も、必ずどこかにいるはずです。そうした人と友人になれるも、努力の恩恵の一つです。