昭和の化石の英語教室

昭和の終わりに日本を離れたラッキーな老人の英語教室

「根性」は無い方がいい。

私は昭和の典型的な「根性論」文化の中で育ってきました。が、白状すると、当時から「根性論」は大嫌いでした。

勘違いしないでください。私は、「根性」とか「頑張る精神力」みたいなものは、色々な状況で絶対に必要だと信じています。「根性」があるか無いかが、成功と失敗の差をもたらすことだってあると思います。運は自分でどうこうできませんが、努力の量はコントロールできます。

 

しかし、少なくとも当時、何かにつけて「根性」を持ち出す人には、ある嫌な共通点がありました。彼ら(ほとんどは男性)は命令を出す立場にあったと言うことです。部活の先輩・コーチとか研究室の教授とか、そういう人たちです。結果が悪ければ、それは私たちの「根性の無さ」のせいであり、自分の命令・計画の愚かさではない、という都合の良い立場の人たちです。

残念ながら、私は根性がある方なので、馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、彼らの命令・計画を、言われるまま実行していました。一つは、「根性無し」と思われるのが恐ろしかったからです。もう一つは、自分で問題の解決を考えることを、放棄していたからです。もっと早く生まれていれば、こんな私は、間違いなく特攻隊に志願していたでしょう。

 

はっきり申し上げて、「根性論」を振りかざす人に、真剣に物事を考えている人はほとんどいないと断言できます。色々な問題には、解決方法があるはずです。完璧には「解決」できないまでも、より良い方向に向けるための作戦はあるはずです。「根性論」を振りかざす人は、これを考えていません。思考が停止しています。

「根性」は作戦ではありません。命令を出す立場にある人を守るための道具です。これを完全に無くして、初めて、さあ問題をどうやって解決しようと考える状況が生まれると思います。